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[しなびとインタビュー]変わらないために、変わっているまち[後編]

品人インタビュー2018.08.14 update

前編は品川港南の歴史をお伝えしてきましたが、後編は古屋さんと振興会について、掘り下げてお話します!まちの変化と品川の好きなところを聞いてみました。

前編はコチラ

古屋さんがまちの顔をたくさんもつ理由

まちをよりよくしたいという想い

現在所属している港南振興会以外にも、防火管理研究会や交通安全協会などたくさんのまちの顔を持っている古屋さん。地域のネットワーク、繋がり、スキルなど様々なことを生かして、社会のためになることを発揮できる場面も増えてきました。よりよい地域を目指すために様々な活動を続けておられます。みんなとコミュニケーションをとったり、安心安全の積み重ねていくこと、地域を盛り上げたいという想いは、仕事を始めたときからずっとブレていません。

まちにとって大切な要素とは

港南振興会を担っていく中で、まちの足もとが大切だと気づいていったと古屋さんは話します。「会社の行き帰りだけの生活は楽しくない。これからもっともっと生活に楽しさを増やすために」

企業版の町内会が振興会であると例えられますが、他のまちは業種別の団体が多いのです。港南振興会は、業態・業種問わず、品川に本社やオフィスがある企業という共通点を軸に、横のつながりを密にして、安心安全に事業を展開できるようにしていくような連携がとられています。それは振興会の始まりに関わるメンバーの想いを引き継いでいるのです。

港南振興会のはじまり

港南振興会の始まりは駅前にオフィスを構えていた4社

80年以上前、品川駅前にオフィスを構えていた企業4社が同盟を作り、「品川港南口(品川駅東口)を作りたい」という想いをもって集まったのが、港南振興会の始まりだといわれています。

港南口を開通をさせたいという目的が叶った後も、港南を盛り上げたいという想いを持った企業が続々と集まり、今から約53年前程の1965年、港南振興会として産声を上げました。当時のお話としては地元の方々からも、「高輪口との自由連絡通路がない時代は、地下通路を通るしかなかった」「雨が降ったあとは地下が水浸しになった」などのエピソードをよく聞きます。当時の品川駅地下通路は、ちょっと暗くて面接にきた女子学生は気後れしてしまうような道だったのだとか。

「企業4社からできたせっかくできた集まりだし、ご近所さんを知ることが大切だよ。それがコミュニティの基本だよね」そんな風に早くから気づいた人がいたのがきっかけで、港南振興会は業種・業界問わず集まる大きな組織へと発展していきました。

東日本大震災をきっかけに、加速するコミュニティの大切さ

2011年に起きた東日本大震災をきっかけに、防災や安全のためにも隣同士を知る必要性を感じる企業、連携の大切さを大事にしたい企業も増えました。

台風や大雪の日は特に大変なのが交通です。少しでも負担を減らそうと、各企業の役員や、総務担当者同士連絡を取り合い、何時に社員を帰らせるなど、駅が混雑しないように、退社時間をずらす取り組みなどを行っており、災害や有事の際にも発揮できるような各企業同士が連携が図られています。

何かが起きてからコミュニケーションをとるのではなく、普段、日頃からの付き合いが大切で、時には会って話さないと分からないことも多い。そこで年3回、新年会やボーリング大会、熱海旅行を兼ねた総会をするなど、オンラインのコミュニケーションだけでなく、オフラインでのコミュニケーションを大切にしてるのだと話します。

写真:2018年1月の大降雪時の品川駅前の様子

今話題の品川新駅について、まちの変化について

まちの変化について、地元の人の意見

この先予定されている品川新駅(仮称)ができる場所は、港南1丁目に位置しています。同じ港南エリアであり、駅ができると港南エリアで活動できる面積拡大される、にぎわいも生まれて人口も密になります。品川駅を含め、港南や高輪にエリアが注目されてることに対して、「まちが広がっていくね」とポジティブにとらえてる人も多いようです。

新駅のみならず、品川エリアは絶えず開発され続け、まちは変化し続けています。倉庫がなくなって、オフィスビルが新しく建設される。団地が壊されてマンションができる。元をたどれば、ここは埋め立て地ですが、経済の発展とともにまちの人口は増え続け、産業、ビジネスの中心と育ち、新駅を中心に開発計画が加わり、これからもまだまだ変わっていきます。

品川エリアは常にリニューアル感があり、地元の方々も変わり続けてることに慣れている。「新しいものに対して、オープンマインドでいられるのはそういうところじゃないかな」と話す古屋さん。

港南振興会のこれから

振興会はまちの顔的な存在

港南振興会を退会する企業はとても少ない。どちらかというと「会社が手狭になってしまったので、別の街へ行きます」といったケースのほうが多いようです。新しく入会したい企業や品川でビジネスを始める方にも頼りにされるのは、新しいからこそ一番最初にぶつかる問題、それは品川のまちやルールを知らないこと、そして行政の方や他の企業の方たちに相談しようとすると、口々に「港南エリアのことは港南振興会に聞け」と言われてしまいます。そんな風に行政や地元の企業に信頼されているのです。

振興会に推薦されて入会する方が多く、ビルのオーナーさんも新しく入るテナントさんに対して、振興会に入ったらどう?と勧めているそうで、そうやってまちの企業同士が徐々に繋がっていきます。

”オール港南”でこれからも地域に根ざす、コミュニティをつくる、繋いでいく

港南振興会の周年50年イベントとして、港南ファミリーロードレースを開催しました。このファミリーロードレースを経て、コミュニティ同士の繋がりが大切だと改めて知ったと話します。企業だけではまちづくりはできないし、行政や企業との繋がりが得意でもコミュニティはそれだけでは作れない。「コミュニティ同士が繋がりを作らないといけないよね」と気付くきっかけになったそうです。

「まちの人と企業が手を取り合うことで、”オール港南”を実現できる。品川、港南、芝浦、天王洲も拡大して、点が繋がって面になる、もっと広域で品川を盛り上げたい」と、言葉に熱が入ります。

まちって色々な人がいる。品川エリアは駅を含めて絶えず変わり続けているところが面白い。

品川の好きなところは「大きな歴史のために、変わらないために変わっているまち」。もちろん開発によって変わっているのだけれども、大きく見たとき、変わらないようにしているところも見受けられるのだとか。この話や未来のことも聞いてみたいですね。

これからもまちの中の人たちが情報や文化を紡いでいく、オープンマインドで、バリアを持たずにまちをみんなで面白がることが必要だと話していただきました。

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