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[しなびとインタビュー]変わらないために、変わっているまち[前編]

品人インタビュー2018.08.14 update

今回のしなびとは、品川シーズンテラスのイベントでも何度も登場していただいている港南振興会事務局長の古屋さん。とても気さくな方で、品川の歴史ならきっとなんでも知っています。コミュニティや企業をつなぐ、まちのコネクタとなる方です。

古屋さんが勤める太平商会はどんなタイミングで品川港南で仕事をするようになったのか、品川港南がどんなまちに変わっていっているのか、前編・後編に分けてお伝えします。

後編はコチラ

品川港南で仕事をスタートしたのは1959年から

古屋さんの会社、太平商会が創業したのは同じ港区の赤坂。旧町名でいうところの溜池町というところに、仕事場を決めたそうです。歓楽街であり、花街である溜池町には、当時米軍などの外国人が住んでいました。太平商会の創業者は溜池町で自動車産業に目をつけましたが、オリンピックにより首都高速環状線の計画が決まり、土地を移ってほしいと通達があったため、品川港南に引っ越すことになりました。なぜなら当時、芝浦・田町・大崎は土地がたくさんあり、自動車産業としてにぎわいをつくるためにも、広い土地が必要でした。1959年、そして、品川港南でビジネスがスタートしました。

昔からビジネス街であり、人のたくさん住む団地もあった

旧海岸通り(高浜運河に沿って、下水道局や品川シーズンテラスの横を通る道路)には倉庫や工場がたくさんあり、沖電気の本社もあったそう。ソニー本社の前には資材置場やテクノロジーセンターなどもあり、昔から企業が集まる場所だったといいます。日本を牽引していた企業としては、倉庫や物流企業、食品メーカーなど製造業の企業が本社を構えていた土地でした。つまり、昔からビジネス街だったのですね。

港南エリアにはたくさんのタワーマンションが建っていますが、昔は一帯に団地がたくさんありました。当時は土地がたくさんあったため、住民は増え家族も増えた結果、港南小学校や中学校、保育園があっという間にできていきました。

港区立港南小学校は、港区内の小学校と比較して設立が新しい公立小学校ですが、設立は1964年(昭和39年)。2018年で51周年を迎えます。この頃約50年前、機運が高まり、人がわっと増えて住宅の需要が伸びてきます。

変わる住宅需要、団地やマンションの建設ラッシュ

団地が建てられるようになってから人口が爆発的に増えた後、1980年代の終わり〜2000年代にできたマンションにもコンスタントに30代〜40代の人口が増え続けています。ビジネス街であるがためか、常に働き盛りの方々が住むようになっていきました。

当初は公団住宅が多くありましたが、賃貸から分譲への価値観の変化や、世の中のライフスタイルの変化が起きたことにより、港南エリアには住宅の需要の流れがきていることに気づいた不動産会社は次々とマンションを建てていきました。

品川港南に一番最初に立てられたタワーマンションが「コスモポリス品川」、リクルートコスモスが2005年に建設しました。それを皮切りにワールドシティタワーズなどのタワーマンションにしたりなどが立ち並ぶようになったそうです。

なぜ港南と名前がつけられたか・・・?

品川港南は新聞の街だった?!

今のマンションやオフィスの跡地には、工場や倉庫、軍の施設などがありました。また、この品川港南エリアはよく新聞記者が出歩いていたのことを覚えているとのこと。港南に朝日新聞の印刷工場や中日新聞東京本社があったそうで、中日新聞のそばにはバッティングセンターが併設されていて、中日ドラゴンズの選手が練習していたこともあったことも思い出されるそう。

昔と変わらず本社を構えている報知新聞社と、コクヨビルの裏側にあったビルで親しまれた日本新聞インキのビルでは、新聞のインキを各新聞会社に供給していたそうです。それらはどれも今では物珍しい光景で、港南の昔の風景が想像されます。

港南の名前の由来を辿る

1860年頃のペリーの来航により、江戸幕府は海に土を盛って人工島を造り、そこに砲台を立てました。人口島の辺りは「お台場」と呼ばれるようになりました。
港南エリアにも同じように風景や事象から名付けられた名前は高濱町という地名でした。その名の由来は高輪にある砂浜だったからなのです。また、当時は品川駅辺りからペリーの船を見ることができたようで、今では考えられない地形だったということです。
1960年代には名前がまた変わります。港区の南に位置するから港南と名付けられたのだそうですが、こうしてみると地名は歴史から紐付いていたり、まさにその土地を象徴するものからつけられた名が多いですね。

歴史の話はまだまだ続きます。歴史といっても一口に語れるものではなく、様々な文献を読んだり調べておられる古屋さん。
後編は古屋さんのまちに対する想い、振興会がどんなコミュニティをつくっているかをお伝えします!

後編はコチラ

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